
「なぜ、あの愛すべき福島区を離れなければならなかったのか」
JR福島駅を降り、聖天通商店街を抜けた先にある、あの重厚な茶色のビル。
昭和、平成、そして令和と、数多の名勝負を見守り続けてきた「関西の将棋の聖地」。
私を含め、多くの将棋ファンにとって、関西将棋会館といえば、あの場所の空気感そのものでした。古びたエレベーターの音、道場の駒音、そして1階のレストラン「イレブン」から漂うバターライスの香り。
しかし、時代は移ろいます。
2024年12月、関西将棋会館は大阪府高槻市へとその拠点を移しました。
検索窓に「関西将棋会館 移転 なぜ」と打ち込み、この記事に辿り着いたあなたも、きっと私と同じように、一抹の寂しさと、それ以上の「疑問」を抱えているのではないでしょうか。
結論から申し上げますと、移転の理由は単なる「建物の老朽化」だけではありません。
そこには、将来を見据えた高度な経済的判断(コストカットと資産運用)、高槻市という自治体との運命的な出会い、そして「次の100年」を生き残るための生存戦略が複雑に絡み合っていたのです。
この記事では、将棋沼にどっぷりと浸かり、棋士たちの息遣いを追い続けてきた私が、表面的なニュースだけでは見えてこない移転の深層を、熱量を持ってお伝えします。
さあ、一緒にこの歴史的転換点の裏側を紐解いていきましょう。
この記事のポイント
- 老朽化の限界:空調や耐震性が限界を迎え、棋士のパフォーマンス維持が困難に。
- 経済合理性:現地建て替えにかかる数億円の「仮住まい費用」を回避し、資産売却益を活用。
- 高槻市の熱意:「将棋のまち」としての歴史的背景と、手厚い財政支援(GCF)が決定打に。
- 未来への投資:椅子対局や配信設備など、令和の将棋界に対応した機能への進化。
【本記事の信頼性】
本記事は、日本将棋連盟公式サイトおよび高槻市「将棋のまち推進」関連ページ、公開された記者会見資料等の一次情報を基に、長年将棋界を見てきた筆者の知見を交えて執筆しています。
関西将棋会館の移転はなぜ?理由と背景

「住み慣れた家を離れるには、それ相応のっぴきならない理由がある」
これは将棋会館の移転においても同じです。
多くのファンが「なぜ?」と首をかしげたこの大移動。その背景には、連盟が抱えていた切実な課題と、それを解決するための緻密なパズルがありました。
この章のポイント
- 40年という歳月がもたらした物理的な限界とは?
- なぜ「その場(福島区)で建て替え」ではダメだったのか?
- 高槻市と将棋連盟を結びつけた「歴史の糸」とは?
老朽化だけが移転の理由ではない

まず、誰もが最初に思い浮かべる理由、「老朽化」。
確かに、旧関西将棋会館は1981年(昭和56年)に建設された建物であり、築40年以上が経過していました。
人間で言えば働き盛りのベテランといったところですが、鉄筋コンクリートの建物、特に対局場として酷使される施設にとっては、あちこちにガタが来る時期です。
私自身、旧会館の道場を訪れた際、ふと感じたことがあります。
「冷房の効きにムラがあるな」と。
実はこれ、プロの対局においては死活問題でした。
将棋の対局、特にタイトル戦や順位戦といった長時間の戦いでは、棋士は脳をフル回転させ、体温も上昇します。
そんな中、空調設備が古く、微調整が効かない環境は、彼らのパフォーマンスを著しく低下させるリスクがあったのです。
配管や電気系統の経年劣化は、目に見えないところで静かに、しかし確実に進行していました。
さらに深刻だったのが「耐震基準」と「安全性」の問題です。
1981年は新耐震基準が導入された年ですが、旧会館の設計時期や施工のタイミングを考えると、現代の厳格な基準や、将来予測される南海トラフ巨大地震への備えとしては、不安要素が残っていたことは否めません。
しかし、ここで強調したいのは、単に「建物が古いから引っ越した」という単純な話ではないということです。
もし単なる老朽化であれば、リノベーション(大規模改修)という選択肢もあったはずです。
それでも完全移転を選んだ背景には、もっと根本的な「機能の陳腐化」がありました。
40年前、将棋といえば「畳の上で正座」が当たり前でした。
しかし現在はどうでしょう。
国際化、バリアフリー、そして棋士の身体的負担軽減の観点から、「椅子対局」が主流になりつつあります。
和室中心に設計された旧会館では、このスタイル変更に対応するためのスペース確保やレイアウト変更に限界がありました。
また、ABEMAやニコニコ生放送による「全対局中継」がスタンダードになった現代において、大量のカメラ機材や配信ケーブルを這わせるためのインフラが、昭和の建物には備わっていなかったのです。
なぜABEMAは「観る将」の聖地なのか?盤上のドラマを特等席で。
つまり、「関西将棋会館の移転はなぜ?」という問いへの第一の答えは、「昭和の器では、令和の将棋ブームとテクノロジーを受け止めきれなくなったから」だと言えるでしょう。
私たちが愛したあの昭和レトロな空間は、現代の戦場としては、あまりに窮屈になってしまっていたのです。
大阪市福島区での現地建て替えが困難な訳

次に、私を含め多くのファンが一度は考えたであろう疑問。
「なぜ、福島区のあの場所で建て替えなかったのか?」について深掘りします。
JR福島駅から徒歩数分、美味しい飲食店がひしめき合うあの立地は、まさに「聖地」にふさわしい場所でした。
愛着のある土地を離れる必要なんてないじゃないか、と。
しかし、ここで立ちはだかったのが冷徹なまでの「経済的合理性」の壁です。
日本将棋連盟は公益社団法人であり、無尽蔵に資金があるわけではありません。
もし、あの場所で建物を解体し、新しく建て直すと仮定してみましょう。
まず、解体から新築工事が完了するまでの数年間、将棋会館の機能(対局室、道場、販売、事務局)をどこか別の場所に移さなければなりません。いわゆる「仮住まい」です。
大阪市内、それも福島区のようなオフィス街で、これだけの機能を持たせるための物件を数年単位で賃借すれば、その費用はいくらになるでしょうか。
数千万円? いいえ、おそらく数億円規模に達したはずです。
この仮住まい費用は、新会館の建設には直接寄与しない、いわば「消えてなくなるお金」です。
経営的な視点で見れば、これは完全な「二重投資」であり、資産形成に寄与しない巨額のコストとなります。
私なら、なけなしの貯金を家のリフォーム中のホテル代だけで使い果たしてしまうような恐怖を感じます。
一方で、「移転」を選択すればどうなるか。
新会館が完成するその日まで、旧会館を使い続けることができます。
つまり、仮住まい費用はゼロ円。
さらに、ここからが重要なポイントですが、福島区の土地・建物は、大阪駅(梅田)徒歩圏内という、不動産として極めて高い資産価値を持っていました。
「今の家を高く売って、そのお金で新しい家を建てる」
これが連盟の下した決断でした。
旧会館を売却し、その利益を新会館の建設費や運営資金に充当することで、連盟の持ち出し(財政負担)を大幅に圧縮する。
これは感情論を抜きにした、組織を未来へ存続させるための極めて賢明な経営判断だったのです。
私たちが「寂しい」と感じるその感情の裏で、連盟の上層部は「次の100年、将棋界をどう守るか」というシビアな計算盤を弾いていたのでしょう。
福島区を離れることは、過去を捨てることではなく、未来を買うための選択だったのだと、今なら理解できます。
移転場所が高槻市に決定した戦略的理由

では、数ある移転先候補の中で、なぜ「高槻市」が選ばれたのでしょうか。
大阪府内には他にも多くの自治体があります。
しかし、高槻市には他の都市にはない、将棋との「血の繋がり」とも言える強烈なストーリーがありました。
私がこの話を聞いて鳥肌が立ったのが、「高槻城三の丸跡」からの出土品のエピソードです。
かつて高槻城があった場所から、江戸時代のものと思われる多数の将棋の駒(小将棋や中将棋の駒)が発掘されていたのです。
これは、数百年も前から、この地の武士や庶民たちが将棋に興じていたことの動かぬ証拠。
つまり、高槻市は「将棋のまち」を名乗るだけの歴史的正統性を持っていたのです。
さらに歴史を紐解けば、初代高槻藩主である永井直清公は文化振興に熱心で、将棋を奨励していたといいます。
こうした歴史的土壌(バックボーン)があったからこそ、高槻市は「将棋のまち」という都市ブランディングを掲げ、日本将棋連盟に対して猛烈なアプローチをかけることができました。
2018年、日本将棋連盟と高槻市は「包括連携に関する協定」を締結。ここから二者の距離は急速に縮まります。
高槻市の提案は具体的かつ魅力的でした。JR高槻駅西口から徒歩すぐという一等地の市有地を提供すること、そして後述する資金調達面での全面的なバックアップ。
「公益社団法人日本将棋連盟と高槻市との 包括連携に関する協定」調印式【報告】
地理的な条件も見逃せません。高槻市は大阪と京都のちょうど中間に位置し、JRと阪急の両方が使える交通の要衝です。
関西所属の棋士はもちろん、タイトル戦で東京から遠征してくる棋士にとっても、新大阪駅や京都駅からのアクセスが抜群に良いのです。
実際、地図を見てみると、新会館の立地は駅から驚くほど近く、旧会館以上の利便性を手に入れたと言っても過言ではありません。
「歴史的運命」と「地理的利便性」、そして「自治体の熱意」。これらが奇跡的に合致した場所、それが高槻だったのです。
単なる場所貸しではなく、共に将棋文化を育てようというパートナーシップが、この移転劇の核心にあったのですね。
建設費用の資金調達とクラウドファンディング

夢のある移転話ですが、現実問題として避けて通れないのが「お金」の話です。
新会館の建設には約13億円もの巨額の資金が必要と見積もられていました。
公益社団法人である将棋連盟にとって、これは決して軽い金額ではありません。
ここで登場したのが、高槻市による「ガバメントクラウドファンディング(GCF)」という革新的なスキームです。
これは、自治体がふるさと納税制度を活用して特定のプロジェクトへの寄付を募り、その資金を事業に充てるというもの。
仕組みはこうです。
1. 私たちファンや企業が高槻市にふるさと納税(寄付)をする。
2. 高槻市はその寄付金を「関西将棋会館建設プロジェクト」の資金としてプールする。
3. 市から連盟へ、建設費の補助として資金が渡る。
この仕組みの素晴らしい点は、寄付する側(私たち)にも税制上のメリット(寄付金控除)があり、さらに「返礼品」という楽しみがあることです。
そして何より、「自分の寄付で将棋会館が建つ」という当事者意識を持てること。
これがファンの心を鷲掴みにしました。
用意された返礼品も、将棋ファンのツボを心得たものでした。
例えば、新会館の内覧ツアー、こけら落としとなる「指し初め式」への参加権。これらは「コト消費」として、一生の思い出になる体験です。
さらに高額なものでは、藤井聡太竜王や福間香奈女流五冠の直筆揮毫屏風(100万円!)や、名工による盛上駒(350万円!)など、マニア垂涎の逸品が並びました。
伝統文化「将棋」をみんなの「チカラ」で次の世代に!関西将棋会館建設プロジェクト
中には、新会館に自分の名前を刻める「銘板掲出」もありました。私のような一般のファンでも、数万円の寄付で、将棋の歴史の一部になれるのです。
このプロジェクトは第1期から第5期(FINAL)まで実施され、数億円規模の資金を集めることに成功しました。
これは、自治体と文化団体、そしてファンが一体となって成し遂げた、新しい公共施設の作り方のモデルケースと言えるでしょう。
移転はいつ?スケジュールの全貌

最後に、この壮大なプロジェクトがどのようなタイムラインで進んだのか、振り返っておきましょう。
移転は突然決まったわけではなく、水面下での長い交渉と準備の期間がありました。
| 時期 | 出来事・フェーズ |
|---|---|
| 2018年9月 | 日本将棋連盟と高槻市が「包括連携協定」を締結 |
| 2019年8月 | 高槻市から正式に移転の提案が行われる |
| 2021年2月 | 連盟の臨時総会にて高槻移転が可決・発表 |
| 2021年7月 | クラウドファンディング(第1期)開始 |
| 2023年 | 新会館着工 |
| 2024年11月17日 | 新会館 開館記念式典 |
| 2024年11月24日 | 旧関西将棋会館(福島区)最終営業日 |
| 2024年12月3日 | 新関西将棋会館(高槻市)グランドオープン |
2021年の発表から約3年半。長いようであっという間の期間でした。
特に2024年の11月から12月にかけては、旧会館との別れを惜しむイベントと、新会館への期待が交錯する、感情的に忙しい日々でした。
私自身、最終営業日の福島区には何とも言えないセンチメンタルな空気が漂っていたのを覚えています。
しかし、それ以上に、12月3日のグランドオープンで見せた新会館の輝きは、これからの将棋界の明るい未来を予感させるものでした。
関西将棋会館の移転はなぜ?跡地や今後

「立つ鳥跡を濁さず」と言いますが、40年以上も愛された場所がどうなってしまうのか、そして新しい場所で何が始まるのか。
ここからは、過去(跡地)と未来(新会館の機能)に焦点を当てて見ていきましょう。
この章のポイント
- 福島区の旧会館跡地は売却され、新たな開発へ。
- 「聖地の味」レストランイレブンは高槻には行かず、福島に残る決断をした。
- 新会館は「和風モダン」なデザインと最新設備が融合。
福島区の旧会館跡地はどうなるのか

長年親しまれた大阪市福島区の旧会館。
その土地と建物は、前述の通り「新会館建設費用の原資」とするために売却されることが決定しています。
日本将棋連盟は入札方式での売却を進めており、2024年末時点では具体的な購入者や開発計画の全貌は一般には広く公表されていません。
しかし、あの場所はJR大阪駅(梅田エリア)から徒歩圏内であり、福島エリア自体も「食の都」として人気が高い一等地です。
不動産の常識で考えれば、高層マンションや商業施設、あるいはホテルなどへの再開発が行われる可能性が高いでしょう。
もしかしたら数年後、あの場所を通りかかったとき、かつての将棋会館の面影は全くなくなっているかもしれません。
個人的には、新しい建物の片隅にでも「ここに以前、関西将棋会館があった」という小さな石碑やプレートが残されることを願ってやみません。
数々の名棋士たちが魂を削った場所の記憶が、完全にコンクリートの下に埋もれてしまうのは、あまりにも切ないですから。
レストランイレブンは移転したのか?

将棋ファン、特に「将棋メシ」ファンにとって最大の関心事の一つが、旧会館1階にあった洋食店「レストラン イレブン」の去就でした。
棋士たちの胃袋を支え、藤井聡太竜王が愛した「バターライス」や、サービスランチの「珍豚美人(チントンシャン)」は、もはや将棋文化の一部と言っても過言ではありません。
「会館と一緒に高槻へ行くのか?」
多くのファンがそう思っていましたが、結論から言うと、イレブンは高槻には移転しませんでした。
新会館の設計上、テナントスペース(飲食店が入る場所)が設けられなかったこと、そして店主の方の生活拠点が福島区にあることなどが理由とされています。
しかし、悲しむ必要はありません。イレブンは廃業したわけではなく、福島区内で移転オープンしています。旧会館での営業は2023年11月に終了しましたが、その後、近くの「聖天通商店街」の中に新しい店を構えました。
これは私にとって、ある意味で最高の結末でした。
将棋の機能は高槻へ移りましたが、「聖地の味」は福島に残ったのです。
新会館で将棋を指した後、電車に乗って福島まで戻り、イレブンでバターライスを食べて往時を懐かしむ。
そんな「聖地巡礼」のルートが、新たに生まれたとも言えます。
場所は変われど、あの懐かしい味はこれからも私たちを迎えてくれるのです。
新会館の設備と移転によるメリット

さて、いよいよ皆様お待ちかね、高槻に誕生した新・関西将棋会館の全貌に迫ります。
私はオープン直後の12月に足を運びましたが、その第一印象は「伝統と未来の融合」そのものでした。
旧会館の重厚さも好きでしたが、新会館には圧倒的な「開放感」と「機能美」があります。
まず目を引くのが外観です。
5階建ての建物のファサード(正面デザイン)は、将棋盤のマス目をモチーフにした格子状になっており、遠目から見ても「あ、ここは将棋の場所だ」と直感できます。
木材を多用した温かみのあるデザインは、周囲の都市景観に溶け込みつつも、確かな存在感を放っています。
私が最も感動したのは、1階に道場とオフィシャルショップが配置されたことです。
旧会館では、道場は2階にあり、少し入りにくい雰囲気(それがまた良かったのですが)がありました。
しかし新会館では、通りに面したガラス張りの1階にこれらの機能を持ってきたことで、通りがかりの人が「ちょっと覗いてみようか」と思えるような、開かれた空間になっています。
これは将棋の普及という観点からも、非常に大きなメリットだと言えるでしょう。
設備面での進化も目覚ましいものがあります。
特に注目すべきは「対局室の多様化」です。2階には多目的ルームを兼ねた椅子対局室が整備されました。
これにより、アマチュア大会やイベントの開催が容易になっただけでなく、正座が困難なベテラン棋士や、海外からの招待選手などにも柔軟に対応できるようになりました。
そして忘れてはならないのが、現代将棋界の生命線とも言える「配信設備」の充実です。
各対局室には、AIによる形勢判断を表示するモニターや、高画質な中継カメラを設置するための配線があらかじめ壁内に埋め込まれています。
旧会館のように床を這うケーブルに足を引っ掛ける心配もありません。
私たちファンが画面越しに見る映像のクオリティも、ここから発信されることで一段と向上することでしょう。
また、建物全体がバリアフリー設計になっている点も重要です。
エレベーターの広さ、多目的トイレの設置など、あらゆる世代、あらゆる身体状況の人が将棋を楽しめる環境が整っています。
「将棋は頭のスポーツ」と言われますが、そのフィールド(競技場)もようやく現代のスタジアム基準に追いついた、そんな印象を受けました。
藤井聡太竜王ら棋士への環境改善

ファンとして最も気になるのは、「推しの棋士たちが快適に戦えるのか?」という点ではないでしょうか。
特に、現在将棋界の頂点に立つ藤井聡太竜王・名人や、タイトル戦を戦うトップ棋士たちにとって、対局環境は勝敗を分ける重要なファクターです。
その答えは、最上階である5階に用意された特別対局室にあります。
江戸城の「黒松院」をイメージして作られたというこの空間は、まさに選ばれし者だけが入室を許される聖域。
特筆すべきは、対局室に隣接して専用の「屋上庭園」が設けられていることです。
対局中、長考に沈む棋士がふと視線を上げたとき、そこには無機質なビルの壁ではなく、空と緑が広がっています。
この「内なる庭」の存在は、極限の集中状態にある棋士の脳をリフレッシュさせ、より深い読みを引き出す助けになるはずです。
機能面での改善も徹底されています。
旧会館で課題だった空調設備は、最新の個別制御システムに刷新されました。
これにより、「暑がり」な棋士と「寒がり」な棋士が同室で対局する場合でも、それぞれのエリアで微細な温度調整が可能になります。
もう「盤側が暑すぎて思考停止した」なんて言い訳は通用しません。
さらに、防音性能も劇的に向上しています。
駅近という立地ながら、高度な防音壁とサッシを採用することで、外部の騒音をシャットアウト。
静寂の中で駒音だけが響く、理想的な対局空間が実現しました。
また、プロ棋士専用のラウンジや休憩スペースも拡充されており、対局の合間にリラックスしたり、感想戦(対局後の検討)を行ったりする環境も格段に良くなっています。
藤井竜王も移転に際し、「対局環境が良くなることは棋士にとって一番の喜び」といった趣旨のコメントを寄せていますが、これは全棋士の総意でしょう。
環境が整えば、生まれる棋譜(ドラマ)の質も上がる。
新会館は、これからの「名局製造工場」としてフル稼働してくれるはずです。
高槻新会館へのアクセスと利便性

「高槻って、大阪市内から遠くない?」
そう心配される方もいるかもしれませんが、実際に足を運んでみると、そのアクセスの良さに驚かされます。
むしろ、旧会館よりも便利になったと言える側面すらあります。
新会館の所在地は、JR高槻駅の西口(きた西口)から徒歩すぐ。
「すぐ」というのは誇張ではなく、改札を出てデッキを歩けば、ものの1分ほどで到着します。
雨の日でもほとんど濡れずに移動できるこの距離感は、対局で疲弊した棋士にとっても、遠方から訪れるファンにとってもありがたい限りです。
- 大阪(梅田)から:JR京都線・新快速で約15分。
- 京都から:JR京都線・新快速で約13分。
- 新大阪から:新幹線接続で約10分。
このように、大阪と京都のちょうど「へそ」に位置するため、関西一円からの集客が見込めます。
また、新幹線停車駅(新大阪・京都)からのアクセスが抜群に良いため、東京や地方から遠征してくる棋士の負担も大幅に軽減されます。

そして何より素晴らしいのが、高槻市全体が醸し出す「歓迎ムード」です。
JR高槻駅には、将棋連盟の移転に合わせて「将棋会館口」という愛称が付けられました。
駅を降り立てば、将棋の駒をあしらった郵便ポストがお出迎え。
街中を走る市営バスには将棋のラッピングが施され、足元のマンホールまで将棋デザインになっています。
周辺には飲食店やホテルも充実しており、観る将(みるしょう)の遠征拠点としても申し分ありません。
対局の日は、駅周辺のカフェでパブリックビューイングが行われることもあり、街全体がスタジアムのような熱気に包まれます。
単なる「建物」だけでなく、「街」全体で将棋を楽しめる。
それが高槻移転の最大の魅力かもしれません。
よくある質問Q&A

ここでは、移転に関して私がよく耳にする疑問について、Q&A形式でサクッとお答えします。
Q. 一般のファンが入れるエリアはどこですか?
A. 基本的に1階の道場・売店エリアと、イベント開催時の2階多目的ルームです。
4階・5階のプロ棋士専用対局室は、原則として関係者以外立ち入り禁止ですが、指導対局会や特別公開イベントなどで入れるチャンスがあるかもしれません。
公式サイトの情報をこまめにチェックしましょう。
Q. 旧会館(福島区)はもう入れないのですか?
A. はい、2024年11月24日をもって営業を終了しており、現在は閉鎖されています。
立ち入りはできませんのでご注意ください。
ただし、近くの「レストラン イレブン」は営業していますので、思い出巡りは可能です。
Q. 新会館建設のための寄付はまだできますか?
A. 建設費を募る「ガバメントクラウドファンディング」は第5期をもって終了しました。
しかし、高槻市への「ふるさと納税」や、日本将棋連盟への直接の寄付は常時受け付けています。
これらは将棋文化の普及や棋士の活動支援に使われます。
Q. 駐車場はありますか?
A. 会館専用の一般来場者用駐車場はありません。
駅周辺には多数のコインパーキングがありますが、公共交通機関(JR・阪急)での来場が強く推奨されています。
駅直結に近い立地ですので、電車が一番便利です。
まとめ:関西将棋会館の移転はなぜ?

長くなりましたが、関西将棋会館の移転について、その背景から新会館の魅力までを深掘りしてきました。
今回の移転は、単なる「引っ越し」ではなく、将棋界が次の時代へ進むための「進化」であったことがお分かりいただけたでしょうか。
本記事のまとめ
- 移転の真因:老朽化による物理的限界と、現地建て替えによる経済的損失の回避。
- 高槻市の勝因:「将棋のまち」としての歴史的根拠と、行政と市民が一体となった熱烈な誘致活動。
- 資金調達の妙:ガバメントクラウドファンディングを活用し、ファン参加型の建設を実現。
- 未来への展望:藤井聡太竜王らトップ棋士が最高のパフォーマンスを発揮できる環境と、ファンに開かれた聖地の誕生。
私は、福島区の旧会館が大好きでした。
しかし、実際に高槻の新会館を訪れ、その木の香りと明るい日差しを感じたとき、「ああ、これで良かったんだ」と心から思えました。
将棋という伝統文化が、こうして新しい器を得て、また100年続いていく。
もしあなたがまだ新会館を訪れていないなら、ぜひ一度足を運んでみてください。
1階の道場で指すもよし、ショップで推し棋士のグッズを買うもよし。
そこには、かつての福島区と同じように、いやそれ以上に熱い「将棋の魂」が息づいています。
そして、これからも私たちファンは、この新しい聖地から生まれる数々のドラマを、固唾を呑んで見守っていきましょう。
次はあなたが、高槻で「一手」指す番です。

