
盤上に響く、乾いた駒音。その一手に、人は己の魂を乗せる。
将棋とは、単なる遊戯ではありません。それは81マスの宇宙で繰り広げられる、無言の対話であり、血の通った知性のぶつかり合いです。しかし、誰もが最初から名手であるわけではありません。指先が震え、定跡を忘れ、ただ闇雲に駒を動かす時期が、誰にでも必ずあります。
あなたは、こう呼ばれたことはあるでしょうか。
「それは、へぼ将棋だね」と。
あるいは、優勢だったはずの局面から坂道を転げ落ちるように逆転され、悔しさに枕を濡らした夜があるかもしれません。なぜ、私たちは間違えるのか。なぜ、大切にすべきものを間違えてしまうのか。先人たちは、その痛みを、その愚かさを、そしてその先にある真理を、短い言葉に凝縮して残しました。それが「将棋の格言」です。
本記事では、「下手な将棋」と呼ばれるものの正体と、そこから抜け出すための先人の知恵――格言の数々を、盤上の哲学として紐解いていきます。単なる知識の羅列ではありません。あなたの将棋観を、そして人生観をも揺さぶる、言葉の旅路へとお連れしましょう。
さあ、盤面の霧を晴らしにまいりましょう。
【本記事の信頼性】
本記事は、以下の公的機関および信頼できる情報源に基づき、将棋の歴史的背景や用語の正確性を期して執筆されています。
下手な将棋のことを何という?

将棋において、拙劣な指し回し、あるいは初心者が陥りがちな視野の狭い将棋を指す言葉。それは単なる罵倒ではなく、そこには「未熟さゆえの愛嬌」や「克服すべき課題」が含まれています。まずは、その言葉の定義と本質に迫ります。
へぼ将棋とは?
「へぼ将棋」。この響きには、どこか土臭く、そして人間臭い哀愁が漂います。
辞書的な意味を紐解けば、「へぼ」とは「平凡」や「不出来」を意味する言葉であり、熟練していない様子を指します。しかし、将棋の世界における「へぼ」は、単に「弱い」ことと同義ではありません。そこには、定跡を知らないがゆえの奔放さや、セオリーを無視した我流の指し回し、そして何より「勝手読み」による自滅への道が含まれています。
プロ棋士の洗練された指し手が、研ぎ澄まされた日本刀の斬れ味だとすれば、へぼ将棋は錆びた鉈(なた)を力任せに振り回すようなものです。美しさはありません。合理的でもありません。しかし、その泥臭い一局の中には、プレイヤーの欲望や恐怖が剥き出しになっています。
- 視野の狭窄: 盤面全体を見渡せず、目の前の駒の取り合いに終始してしまう。
- 連携の欠如: 攻め駒と守り駒が分断され、孤独な戦いを強いられている。
- 目的の不在: 「なぜその手を指したのか」という問いに対し、明確な意志を持てない。
かつて文豪たちが将棋を愛し、その作品の中で「へぼ将棋」を描いたように、それは未完成な人間の縮図でもあります。もしあなたが「へぼ将棋」と笑われたとしても、恥じることはありません。それは、あなたがまだ「定跡という名の巨人の肩」に乗る前の、純粋無垢な闘争本能だけで戦っている証拠なのですから。
しかし、強くなりたいと願うのであれば、この「へぼ」の殻を破らねばなりません。そのためには、質の高い棋書を読み、定跡を学ぶことが近道です。例えば、将棋のおすすめ棋書を探して、理論の基礎を固めるのも良いでしょう。また、電子書籍であれば場所を選ばずに学べます。Kindleなどを活用し、隙間時間にひと目でも盤面に触れる習慣が、脱・へぼ将棋への第一歩となります。
へぼ将棋王より飛車を可愛がり

これこそが、下手な将棋の代名詞とも言える、最も有名かつ痛烈な格言です。
「へぼ将棋、王より飛車を可愛がり」
この言葉が突いているのは、将棋というゲームの「目的」と「手段」の取り違えです。将棋の勝利条件はただ一つ、相手の「王将(玉将)」を詰むこと。そして、自らの王が詰まされないことです。飛車や角、金銀といった駒は、あくまで王を守り、相手の王を追い詰めるための「道具」であり「家来」に過ぎません。
しかし、初心者は往々にして、この絶対的なヒエラルキーを見失います。
1. 攻撃力への過信と執着
飛車は、縦横無尽に盤上を駆け巡る最強の攻撃駒です。その派手な動きと破壊力に魅了された初心者は、飛車を「自分自身」のように錯覚してしまいます。飛車が取られることを、まるで自分が殺されるかのように恐れるのです。
その結果、何が起きるでしょうか。王の守りを放棄してまで飛車を逃げ回る。飛車を守るために、本来王を守るべき金銀を前線に送り込んでしまう。これは、城の主である王様を置き去りにして、将軍ひとりの命を救おうと軍隊全体を危険に晒すような愚行です。
2. 損得勘定の歪み
物質的な損得(駒得・駒損)は目に見えやすい要素です。「飛車を取られたら10点マイナス」というような単純な計算は、初心者にも分かりやすい。一方で、「王の危険度」や「形勢の良し悪し」は抽象的で、目に見えにくいものです。
へぼ将棋においては、目に見える「飛車」という財産を守ることに必死になり、目に見えない「王の安全性」という、ゲームの存続に関わる最重要資産を売り渡してしまうのです。
3. 「可愛がる」という皮肉
この格言の秀逸な点は、「可愛がり」という言葉の選び方にあります。戦略的な判断ではなく、まるでペットを溺愛するかのような、感情的で盲目的な執着。そこには、理性が入り込む余地がありません。
上級者は、飛車を「切る」ことができます。王を詰ますためなら、あるいは自玉の安全を確保するためなら、最強の駒である飛車を喜んで相手に差し出します。これを「飛車を切る」と言いますが、これこそが「王より飛車を可愛がる」状態からの卒業試験とも言えるでしょう。
もし、あなたが対局中に「飛車が逃げる場所がない!」と焦りを感じたなら、一度深呼吸をしてください。そして自問するのです。「この飛車を捨てて、王を守る手はないか?」「飛車と引き換えに、相手の王に迫る手はないか?」と。その問いかけができた瞬間、あなたは「へぼ将棋」の領域から、一歩足を踏み出しているのです。
下手な将棋のことを何という?将棋の格言一覧

将棋の格言は、江戸時代から現代に至るまで、数多の棋士たちが血の滲むような対局の中で掴み取った「真理の結晶」です。それは単なるテクニックの指南書ではなく、迷った時に進むべき道を照らす灯台のような存在です。
ここからは、数ある格言の中から、特に重要で、心に刻むべき言葉たちを紹介していきます。まずは、初心者が最初に覚えるべき重要度ランキングから見ていきましょう。
ランキング
将棋の格言は数百とも言われますが、その実用性や頻出度には差があります。ここでは、初級者から中級者が「強くなるために」絶対に押さえておくべき格言を、独断と偏見を交えつつ、その効能と共にランキング形式で紹介します。
| 順位 | 格言 | その心が教えるもの |
|---|---|---|
| 1位 | 玉の早逃げ八手の得 (ぎょくのはやにげ はってのとく) | 守りの極意。相手の攻めが激化する前に、王様を安全地帯へ避難させることは、8手分指したのと同等の価値があるということ。危機管理能力の基本。 |
| 2位 | 居玉は避けよ (いぎょくはさけよ) | 王様を初期位置(5九や5一)に置いたまま戦うのは自殺行為。流れ弾に当たりやすく、攻め味も悪い。「まずは囲う」という将棋の基本作法。 |
| 3位 | 歩のない将棋は負け将棋 (ふのないしょうぎは まけしょうぎ) | 最弱の駒「歩」の重要性。攻めの足掛かり、守りの防壁、手番稼ぎなど、歩切れは致命傷になることが多い。資源管理の重要性を説く。 |
| 4位 | 開戦は歩の突き捨てから (かいせんは ふのつきすてから) | 攻めの手筋。いきなり大駒をぶつけるのではなく、歩を犠牲にして相手の陣形を乱し、隙を作る高等戦術への入り口。 |
| 5位 | 終盤は駒の損得より速度 (しゅうばんは こまのそんとくより そくど) | 目的の転換。序中盤は駒を得することが大事だが、最後は「どちらが先に詰ますか」のスピード勝負。大駒を捨ててでも1手速く王に迫る決断力。 |
これらの格言は、ただ暗記するだけでは意味がありません。実戦の中で「あ、今は『居玉は避けよ』の場面だ」と気づき、指し手を修正できた時に初めて、あなたの血肉となります。
多くの棋書や戦術書には、これらの格言をベースにした解説が溢れています。もし、より体系的に学びたいのであれば、Kindle Unlimitedで読み放題の将棋本を探してみるのも一つの手です。数多の定跡書を乱読し、格言の意味を盤面で確認する作業は、強くなるための最短ルートと言えるでしょう。
有名な格言

ランキングに入りきらなかったものの、将棋指しなら誰もが知っている、基本にして奥義とも言える格言たちを深掘りします。
5三のと金に負けなし
「と金(歩が成ったもの)」は、将棋において最強のコストパフォーマンスを誇る駒です。金と同じ動きをするのに、取られても相手の手駒としてはただの「歩」に戻る。この理不尽なまでの強さ。
特に、相手陣の要所である「5三」の地点に作ったと金は、相手の王様や守り駒に強烈な圧力をかけます。相手はこれを払うために高い代償を払わねばならず、攻めている側はノーリスクで攻め続けられる。この「確勝」のパターンを知っているかどうかが、勝率を大きく左右します。
桂馬の高跳び歩の餌食
桂馬は唯一、他の駒を飛び越えられるトリッキーな駒です。その軽快な動きに酔いしれ、準備不足のままピョンピョンと前線に跳ねていくとどうなるか。相手の歩に頭を叩かれ、あえなく捕獲されてしまいます。
この格言は、「調子に乗るな」という戒めです。軽率な行動は、足元をすくわれる原因になる。盤上の連携を無視したスタンドプレーは、必ず報いを受けるのです。
大駒は近づけて受けよ
飛車や角といった強力な遠距離攻撃駒(大駒)に対する守備の鉄則です。大駒は遠くから睨みを利かせている時が最も脅威です。しかし、あえてその懐に自分の駒を近づけることで、その射程を遮断し、動きを不自由にさせることができます。
恐怖に立ち向かう勇気。遠くから撃たれるのを恐れるのではなく、一歩踏み込んで相手の懐に入り込むことで活路が開ける。これは、人生の困難に対する処世術にも通じるものがあります。
かっこいい格言

将棋の格言には、言葉の響きが美しく、口にするだけで背筋が伸びるような「かっこいい」ものが存在します。その美学に触れてみましょう。
一歩千金(いっぷせんきん)
たかが歩、されど歩。盤上に何気なく置かれた一枚の歩、あるいは手持ちの一枚の歩が、局面によっては千金(莫大なお金)に匹敵する価値を持つという教えです。
終盤戦、たった一枚の歩がないために詰まなかったり、一枚の歩のおかげで劇的な逆転勝ちを収めたりする。最小のものが最大の価値を生む瞬間のカタルシス。この言葉には、すべての存在には意味があるという、深い肯定感が込められています。
金底の歩、岩より堅し(きんぞこのふ、いわよりかたし)
金のすぐ下(一段目)に打つ歩の守備力を讃えた言葉です。金は守りの要ですが、その足元は意外と脆い。そこを最弱の駒である歩が支えることで、鉄壁の要塞(岩)よりも堅い守りが完成します。
エリート(金)を一般市民(歩)が支える構図。あるいは、華やかな主役を裏方が支える強さ。その連携の美しさが、物理的な強度を超えた「精神的な堅さ」を感じさせる名言です。
敵の打ちたいところへ打て
相手の思考を読み、相手が「ここに駒を打ちたい」と願っている急所を先回りして塞ぐ、あるいはそこに自分の駒を打つ戦術です。
これは、単なる妨害ではありません。相手の心を読み切り、その希望を絶望に変える、残酷かつ高度な心理戦です。「お前の考えなどお見通しだ」という無言のメッセージを盤上に叩きつける、強者の論理がここにあります。
人生の格言

盤上は人生の縮図である――多くの棋士が口を揃えてそう言います。81マスの世界で起きるドラマは、そのまま私たちの生きる現実世界のアナロジー(類推)として響きます。ここでは、将棋を超えて生きる指針となる深い言葉を紹介します。
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
江戸時代の平戸藩主であり、名著『甲子夜話』を残した松浦静山の言葉であり、プロ野球の故・野村克也監督が座右の銘としたことでも有名です。
勝負事において、相手のミスや偶然が重なって「なぜか勝ってしまう」ことは往々にしてあります。しかし、「負ける」時において偶然はありません。そこには必ず、準備不足、慢心、判断ミスといった必然的な敗因が存在します。
成功した時に「運が良かった」と謙虚になり、失敗した時には「何が悪かったのか」と徹底的に自己分析を行う。この真摯な姿勢こそが、次の勝利を呼び込む唯一の道なのです。
待てば海路の日和あり
一般的に使われる言葉ですが、将棋においても極意とされています。不利な局面、攻め手が見つからない苦しい時間帯。そこで自暴自棄にならず、じっと耐えて「その時」を待てるか。
無理に動けば傷口が広がるだけの時があります。そんな時は、嵐が過ぎ去るのを待つ船のように、守りを固めてチャンスを待つ。相手も人間です。焦れて無理な攻めをしてくるかもしれません。忍耐とは、単なる我慢ではなく、反撃の牙を研ぎ澄ますための能動的な「待ち」の時間なのです。
長考に好手なし
迷いに迷って、時間を浪費した挙句に指した手は、ろくな結果にならないという戒めです。長考している時、人の脳内では思考が堂々巡りし、恐怖心が増幅され、直感が曇っていきます。
人生もまた然り。悩みすぎて動けなくなっている時より、第一感(直感)を信じて行動した時の方が、結果的にうまくいくことが多いものです。決断のスピードは、それ自体が武器になります。迷路に入り込んだと感じたら、あえてシンプルに考える勇気を持つこと。それが泥沼から抜け出す秘訣です。
ビジネスに通ずる格言

将棋は「決断の芸術」であり、その思考プロセスは経営やビジネス戦略と密接にリンクしています。現代のビジネスパーソンこそ、盤上の戦略論から学ぶべきことは多いでしょう。
序盤は学、中盤は才、終盤は胆
一局の将棋を3つのフェーズに分け、それぞれに必要な能力を説いた名言です。
- 序盤は学(知識): ビジネスの立ち上げやプロジェクトの初期段階。ここでは過去の事例や定跡(セオリー)を学ぶことが不可欠です。独創性よりも、先人の知恵(データ)を正しく積み上げる力が問われます。
- 中盤は才(才能・機転): 局面が動き出し、未知の領域に入る段階。ここではマニュアル通りの対応では通用しません。変化する状況に合わせて柔軟に手を修正する、現場の応用力やセンスが試されます。
- 終盤は胆(胆力・精神力): 勝ち負けが決まる最終局面。最後は論理を超えた「勝ち切る意志」や、リスクを恐れない胆力が必要になります。どれだけ頭が良くても、ここ一番でプレッシャーに負けるようではリーダーは務まりません。
大局観(たいきょくかん)
格言というよりは用語に近いですが、将棋における最重要概念の一つです。目の前の「歩を取るか取らないか」という小さな損得ではなく、盤面全体を見渡し、「今、誰が優勢か」「これからどちらへ向かうべきか」という全体像を把握する能力です。
ビジネスにおいて、目先の利益や細かいタスクに忙殺され、市場の大きな流れ(トレンド)を見失うことは致命的です。常に視座を高く持ち、俯瞰(ふかん)で物を見る。経営者やリーダーに求められるのは、この「大局観」に他なりません。
攻めるは守るなり
「攻撃は最大の防御」と同義です。守ってばかりいては、相手に主導権を握られ続け、いずれ防壁は崩壊します。しかし、こちらから攻め込むことで、相手は守りに回らざるを得なくなります。
市場競争においても、現状維持(守り)は衰退の始まりです。新規事業への投資、新しいスキルの習得など、常に「攻め」の姿勢を見せることが、結果として自らの立場(シェア)を守ることにつながるのです。
角の格言

斜めにどこまでも利く「角行」。そのトリッキーかつ広範囲な射程は、盤上に意外性という名の魔法をかけます。しかし、その扱いには繊細な技術が求められます。
角の頭は丸い(かくのあたまはまるい)
角の弱点を端的に表した言葉です。角は斜めには無類の強さを発揮しますが、正面(頭)には進めず、守ることもできません。「丸い」とは「ツルツル滑って捕まえられない」という意味ではなく、「弱点があり、そこを狙われると抵抗できない」というニュアンスを含みます。
角の頭に歩を叩かれ、無念の死を遂げた角は数知れず。長所(斜め)ばかりに目を向けず、短所(正面)をケアしてこそ、角はその真価を発揮します。自分の弱点を知り、そこをカバーすることの重要性を教えてくれます。
遠見の角に好手あり(とおみのかくにこうしゅあり)
自陣の深く、一見すると戦場から遠く離れた場所に打つ角が、実は将来的に敵陣を睨む絶好手になるという教えです。
目の前の戦闘には直接参加していなくても、長い射程で盤面全体を制圧するスナイパーのような一手。目先の結果を求めず、長期的な視野で布石を打つことの有効性を説いています。投資の世界にも通じる、ロマンあふれる格言です。
桂馬の格言

「桂馬」は、チェスのナイトに似ていますが、後ろには戻れない特攻隊長です。その独特の動きは、しばしば戦況を一変させるジョーカーとなります。
桂馬のふんどし
「ふんどし」とは、いわゆる「両取り」の形を指します。桂馬がピョンと跳ねた先で、相手の「王」と「飛車」、あるいは「金」と「銀」を同時に狙う形。相手はどちらか片方を諦めなければなりません。
ふんどしを締め直すかのように、相手に覚悟を迫る一手。小さなコスト(桂馬)で大きな戦果(大駒)を上げる、コストパフォーマンスの極致です。
桂の高跳び歩の餌食
前述のランキングでも触れましたが、あまりに重要なので再掲します。桂馬は戻れません。勢いよく跳ねたはいいが、退路を断たれて捕獲される様は、無計画な若者の暴走を諫めるかのようです。
逆に言えば、「控えの桂」という格言もあります。すぐに跳ねずに力を溜め、ここぞという好機まで待機させておく桂馬こそが、相手にとって本当の脅威となるのです。
その他格言一覧
将棋の知恵は尽きることがありません。ここでは、知っておくと一目置かれる、通好みの格言を一挙に紹介します。
- 金なし将棋に受け手なし: 守りの要である「金」が手元にないと、相手の攻撃を受け止めることができず、脆く崩れ去るということ。金の価値は終盤ほど高まります。
- 玉の腹から銀を打て: 王様の横腹(隣)に銀を打つ攻めは、非常に受けにくく強烈であるという手筋の教え。
- 三手の読み: 「自分がこう指す、相手がこう指す、そして自分がこう指す」。この3ステップを基本として読むべしという思考の基礎。
- 端玉には端歩(はしぎょくにははしふ): 端(1筋や9筋)に逃げ込んだ王様に対しては、端の歩を突くのが急所になることが多い。
- 下段の香に力あり: 香車は一番下の段から打つことで、射程が最大になり、最も効果を発揮する。
これらの格言を実戦で試すには、やはり対局あるのみです。また、プロの対局を観戦し、「あ、解説者が言ったのはこの格言のことか!」と気づくのも楽しい学び方です。ABEMA将棋チャンネルでは、プロの熱戦が日々繰り広げられており、格言の生きた実例を目撃することができます。
私の見解・考察:へぼ将棋という「人間讃歌」
ここまで、少し耳の痛い「へぼ将棋」という言葉と、そこから脱却するための格言を紹介してきました。しかし、最後に一つ、筆者としての偽らざる本音を記しておきたいと思います。
「へぼ将棋こそ、最も人間らしい営みである」と。
近年、将棋AIの進化は凄まじく、人間はもはや計算能力において機械に太刀打ちできなくなりました。AIは「へぼ」な手を指しません。常に合理的で、冷徹で、最適解を導き出します。そこには「飛車を可愛がる」ような情動もなければ、「恐怖で手が縮こまる」こともありません。
しかし、私たちが観て心を震わせるのは、完璧なAI同士の対局よりも、悩み、苦しみ、時に間違えてしまう人間の対局ではないでしょうか。
「弱さ」があるから「格言」が生まれた
もし、人間が最初から合理的で完璧な生き物だったなら、これほど多くの格言は生まれなかったはずです。
- 欲張りすぎて失敗した人がいたから、「欲の深さは身の破滅」と戒められた。
- 恐怖で守りに入り負けた人がいたから、「攻めるは守るなり」と鼓舞された。
- 目先の利益に目が眩んだ人がいたから、「大局観」が説かれた。
つまり、将棋の格言とは、過去の幾千、幾万という「へぼ将棋」を指してしまった先人たちの「後悔のリスト」であり、同時に「未来への遺言」なのです。それは、私たちの弱さを否定するものではなく、「人間だもの、間違えるよ。でも次はこうしてみよう」という、温かな応援歌のようにも聞こえます。
盤上の傷跡を誇れ
あなたがもし、対局でボロ負けをして「自分はなんて才能がないんだ」と落ち込んでいるのなら、どうか顔を上げてください。その悔しさは、あなたが機械ではなく、血の通った人間である証です。
「へぼ将棋王より飛車を可愛がり」。
かつてそう笑われた初心者が、痛みを乗り越え、飛車を盤上に叩きつけて王を詰ます瞬間。そのドラマチックな変貌こそが将棋の醍醐味であり、私たちがこのゲームに魅了され続ける理由なのです。
完璧である必要はありません。泥臭く、格言に助けられながら、あなただけの盤上の物語を紡いでいってください。その「へぼ」な一手の向こう側にこそ、あなた自身の成長という、かけがえのない勝利が待っているのですから。
よくある質問Q&A

初心者が抱きがちな疑問に対し、格言の知恵を交えてお答えします。
Q1. 「へぼ将棋」と言われて悔しいです。どうすれば強くなれますか?
悔しさは成長の糧です。「負けに不思議の負けなし」の言葉通り、まずは敗因を直視しましょう。そして、まずは得意戦法を一つ持つことから始めてください。定跡書を一冊読み込み、それを実戦で試す。その繰り返しが、あなたを「へぼ」から「指せる人」へと変えていきます。おすすめの棋書から、自分に合いそうな一冊を見つけてみてください。
Q2. 格言が多すぎて覚えられません。
無理に暗記する必要はありません。対局中に失敗し、「痛い目」に遭った時に、「そういえばこんな格言があったな」と思い出すくらいで十分です。痛みと共に刻まれた記憶は、一生忘れない知識となります。まずは「玉より飛車を可愛がり」を卒業すること、それだけで十分な進歩です。
Q3. 将棋を指す相手がいません。
現代はネット将棋の全盛期です。アプリで世界中の人と対局できます。しかし、もっと深く学びたい、プロや有段者に指導してもらいたいという場合は、ココナラの指導対局などを利用するのも一つの手です。自分の棋譜を添削してもらうことで、独学では気づけない癖を修正できます。
Q4. 将棋漫画やアニメで勉強するのはアリですか?
大いにアリです! モチベーションの維持は継続の鍵です。『3月のライオン』や『りゅうおうのおしごと!』など、名作から将棋の熱さを感じることは、棋力向上への大きなエネルギーになります。DMM TVで、将棋アニメに触れてみるのも良い気分転換になるでしょう。
まとめ:下手な将棋のことを何という?格言が導く、盤上の夜明け前

「へぼ将棋」――それは誰もが通る道であり、恥ずべきことではありません。未熟であるということは、それだけ伸び代があるということです。
先人たちが残した格言の数々は、81マスの暗闇を照らす松明(たいまつ)です。「玉の早逃げ」で危機を回避し、「居玉」を避けて準備を整え、「歩のない将棋」にならぬよう資源を大切にする。これらの教えは、盤上だけでなく、私たちの人生そのものを豊かにするヒントに満ちています。
あなたが次に駒を握る時、その指先には歴代の棋士たちの知恵が宿っています。恐れることはありません。飛車を切って王を詰ます勇気を持ちましょう。長考の迷路から抜け出し、直感を信じて一歩を踏み出しましょう。
さあ、盤上があなたを待っています。まずは今日覚えた格言を一つ、次の対局で意識して指してみませんか? その一手から、あなたの新しい将棋観が始まります。

