
深夜2時。部屋の明かりを消した暗闇の中で、青白く光るモニターだけが私の顔を照らしている。
将棋ウォーズの対局終了画面。「負け」の二文字が、疲労した網膜に焼き付いて離れない。
これで5連敗だ。
喉の奥から込み上げてくるのは、行き場のない怒りと、底なしの虚無感。マウスを握る手は微かに震え、胃のあたりはずっしりと重い。
「なんであそこで、あんな手を指してしまったんだ」
「あの局面、詰みがあったはずなのに」
頭の中で駒の音がカチリ、カチリと響き続ける。明日は仕事だというのに、興奮と自己嫌悪で眠れそうにない。
ふと、冷徹な理性が囁く。
「こんなことをしていて、一体何になるんだ?」
あなたも、そんな夜を過ごしたことがあるのではないでしょうか。
将棋というゲームは、あまりにも魅力的で、そして同時に、あまりにも残酷です。
盤上の81マス。そこには無限の宇宙が広がっていると言われますが、時にそれは、私たちの貴重な時間と精神を飲み込むブラックホールにもなり得ます。
「将棋はやめたほうがいい」
「将棋なんて人生の無駄だ」
検索窓に「将棋」と打ち込むと、そんなサジェスト(予測変換)が浮上してきます。それは、多くの指し手が一度は抱く、切実な疑念の表れでもあるのです。
本記事では、将棋という深淵を覗き込んでしまった私たちが直面する「やめたい」という感情の正体を、徹底的に解剖します。
単なるメリット・デメリットの羅列ではありません。これは、盤上の苦悩と、それでも指し続けてしまう業(ごう)についての考察です。
将棋は本当に人生の無駄なのか。それとも、その「無駄」の中にこそ、生きる意味が隠されているのか。
その答えを探す旅に、少しだけお付き合いください。
【本記事の信頼性】
本記事は、筆者の実体験に加え、日本将棋連盟の公式コラム、脳科学的な知見、プロ棋士のインタビュー記事などの信頼できる一次情報を基に構成されています。
将棋はやめたほうがいい?人生の無駄?

将棋盤に向かうとき、私たちは何を捧げているのでしょうか。
それは単なる「暇な時間」ではありません。魂の一部と言っても過言ではないほどの、高密度な精神エネルギーです。
だからこそ、ふと我に返ったとき、その反動が津波のように押し寄せてきます。
将棋はやめたほうがいい?
結論から言えば、「軽い気持ちで手を出して、適度な距離感で付き合えない人」にとっては、将棋は「やめたほうがいい」危険な遊戯となり得ます。
なぜなら、将棋が要求するリソースがあまりにも膨大だからです。
時間の消失と「神隠し」
将棋に没頭している時間は、ある種の「神隠し」に遭っている状態に似ています。
休日の朝、「少しだけ詰将棋を解こう」と思って本を開き、気づけばスマホで対局を始め、YouTubeで解説動画を見漁り……ふと時計を見ると、窓の外は既に茜色に染まっている。
そんな経験はありませんか?
このとき感じる喪失感は、映画を見たり小説を読んだりした後の充実感とは異質のものです。
「今日一日、私は画面の中の駒を動かしていただけだった」という、圧倒的な生産性の欠如。
洗濯物は取り込まれておらず、部屋は散らかったまま。現実世界のタスクは何一つ進んでいない。
将棋というゲームは、プレイヤーから「時間の感覚」を奪い去ります。思考の深海に潜っている間、地上の時間は残酷なほど速く過ぎ去っていくのです。
精神を削り取る「負け」の重さ
「将棋はメンタルスポーツだ」と言われますが、その実態はもっと血生臭いものです。
将棋の負けは、他のゲームの負けとは質が違います。
運の要素が極限まで排除されているがゆえに、敗北の原因は100%、自分自身にあります。
サイコロの目が悪かったわけでも、風向きが悪かったわけでもない。
ただ単に、「私の思考が、相手の思考よりも劣っていた」という冷厳な事実だけが突きつけられるのです。
自分の全人格、全知能を否定されたような屈辱。
特に、必勝の局面からたった一手のミス(ポカ)で逆転負けを喫したときの衝撃は、トラウマ級です。
心臓が早鐘を打ち、冷や汗が流れ、目の前が真っ白になる。
プロ棋士ですら、負けた直後は「死にたくなる」と語ることがあるほどです。
「負けました」と頭を下げる。それは単なるゲームの終了合図ではない。自らの首を差し出し、敗北を認める儀式だ。これほど残酷なゲームが他にあるだろうか。
この精神的な負荷は、日常生活にも影を落とします。
負けが込んだ翌日は仕事に集中できず、イライラして家族に当たってしまう。
そこまでして、将棋を指す必要があるのでしょうか?
精神衛生上、もっと穏やかで、心を癒やしてくれる趣味を選んだほうがいいのではないか――そう考えるのは、極めて合理的です。
際限のない知識欲と課金
強くなろうとすればするほど、学ぶべきことは幾何級数的に増えていきます。
定跡、手筋、詰将棋、最新のAI研究……。
本屋に行けば、背表紙に「必勝」「手筋」と書かれた本が山のように積まれています。
「この本を読めば強くなれるかもしれない」
そんな淡い期待を抱き、私たちは次々と棋書を買い込みます。
もしあなたが、棋書代を節約しつつ、膨大な知識の海に溺れたいと願うなら、DMMブックスのような電子書籍サービスや、あるいは定額で読み放題になるサービスを利用するのが賢い選択かもしれません。
特に、Kindle Unlimitedならば、数多くの詰将棋本や戦術書、さらには将棋漫画までが月額定額で読み放題になります。「知識への投資」を青天井にしないための防波堤として、こうしたサービスを活用するのも一つの知恵です。
しかし、本を読んだからといってすぐに勝てるようにならないのが、将棋のまた恐ろしいところなのですが。
人生の無駄?

「将棋が強くなって、将来何の役に立つの?」
これは、将棋に熱中する子供が親から言われる言葉No.1であり、大人が自分自身に問いかける言葉No.1でもあります。
「役に立つこと」の奴隷たち
現代社会は、効率と生産性の信仰に支配されています。
「タイパ(タイムパフォーマンス)」という言葉が流行語になる時代。
英語を勉強すれば年収が上がるかもしれない。プログラミングを学べば転職に有利になるかもしれない。
これらは「役に立つ」趣味とされます。
対して、将棋はどうでしょうか。
アマチュア初段になったところで、履歴書に書けば話のネタにはなるかもしれませんが、直接的に年収が上がるわけでも、生活が便利になるわけでもありません。
純粋な「功利主義」の視点で見れば、将棋は間違いなく「人生の無駄」です。
数千時間を費やして得られるのが、「盤上の駒を上手に操る能力」だけ。
AI(人工知能)である「Ponanza」や「dlshogi」、そして「藤井聡太」という天才ですら、盤外の世界――例えば明日の天気を予測したり、美味しいカレーを作ったりすること――には無力です。
ましてや、スマホに入っている無料の将棋アプリが、人類最強の棋士よりも遥かに強い時代です。
「強い」ことの価値そのものが、揺らぎ始めています。
「無駄」こそが人間を人間たらしめる
しかし、ここで視点を少し変えてみましょう。
哲学者のパスカルは、人間は「部屋でじっとしていられない」からこそ、気晴らし(divertissement)を求め、戦争やギャンブル、そしてゲームに興じるのだと説きました。
死や不幸という現実から目を逸らすための、壮大な暇つぶし。
そう言ってしまうと身も蓋もありませんが、逆説的に言えば、「無駄なことに情熱を注げる」ことこそが、人間の特権ではないでしょうか。
動物は、生存に必要なこと(食事、睡眠、生殖)しかしません。
「役に立たないこと」に命を燃やし、美を見出し、涙を流す。
将棋という、何の生産性もない81マスの世界に、宇宙の真理や人間のドラマを見出す。
この「高尚な無駄」こそが、私たちの人生を彩り、豊かにしている正体です。
公研の記事で棋士の糸谷哲郎八段が語るように、将棋は「決断」の連続です。
将棋とハイデガー【糸谷哲郎】 – 公研
人生には正解のない選択が無数にありますが、将棋盤の上で私たちは「正解(と思われる手)」を求めて、限られた時間の中で決断を下し続けなければなりません。
その思考訓練は、直接お金には換算できなくても、私たちの「生きる力」の根幹を太くしてくれているはずです。
脳科学が証明する「無駄ではない」効果
さらに、科学的な視点からも将棋の擁護をしておきましょう。
単なる精神論ではなく、脳科学や心理学の研究において、将棋のメリットが示唆されています。
- 認知的距離(Cognitive Distance)の確保:
日常の悩みやストレスから一時的に離れ、別の課題(将棋)に没頭することで、脳がリセットされます。「マインドフルネス」に近い効果が、対局中の深い集中(フロー状態)にはあるのです。 - メタ認知能力の向上:
「自分は今、焦っている」「相手はこう考えているはずだ」と、自分と相手を客観的に俯瞰する視点。これはビジネスや対人関係でも極めて重要な能力です。 - バランス能力との相関:
日本将棋連盟の興味深い調査では、将棋を指す子供は身体的なバランス能力が高いというデータがあります。
将棋を指す子供はバランス能力が高い(データのじかん)
脳の前頭葉(思考)と小脳(運動制御)の意外なネットワークが関係しているのかもしれません。
つまり、将棋は「社会的生産性」という意味では無駄かもしれませんが、「脳のフィットネス」や「心の鍛錬」としては、極めてコストパフォーマンスの高いジムのような存在なのです。
デメリット

とはいえ、やはり無視できないデメリットは存在します。
光が強ければ影も濃くなるように、将棋の魅力の裏側には、実生活を脅かしかねない弊害が潜んでいます。
以下に、将棋にのめり込むことによる具体的なデメリットを整理しました。
それは、静かなる破滅の足音かもしれません。
将棋という美しき麻薬が、私たちの日常をどのように蝕んでいくのか。ここから目を背けずに、その暗部を直視してみましょう。
身体の悲鳴:視力、腰痛、そして不眠
モニターやスマートフォンの画面を何時間も凝視し続けることによる眼精疲労。これは現代病ですが、将棋指しのそれは深刻です。
1手ごとの変化を読むために、瞬きの回数は極端に減り、眼球は常に緊張状態にあります。「ドライアイ」は勲章ではなく、警告信号です。
さらに、前傾姿勢で盤面(あるいは画面)を覗き込む姿勢は、ストレートネックや慢性的な腰痛を引き起こします。
プロ棋士が対局中に座布団の高さを調整したり、頻繁に離席したりするのは、身体への負担を分散させるための防衛本能でもあります。
しかし、私たちはどうでしょう。トイレに行くのも忘れ、気づけば数時間が経過し、立ち上がろうとした瞬間に腰に激痛が走る。
これは決して健康的な趣味とは言えません。
そして最も深刻なのが「睡眠障害」です。
寝る前に「1局だけ」のつもりが、負けて悔しくて「勝つまで寝られない」となり、気づけば空が白んでいる。
あるいは、対局の興奮物質(アドレナリンやドーパミン)が脳内に残留し、布団に入っても脳が覚醒して、天井の木目が将棋盤に見えてくる。
睡眠不足は翌日のパフォーマンスを劇的に低下させ、生活の質を破壊します。
社会的孤立:盤上の会話、盤外の沈黙
将棋にのめり込むと、共通言語を持たない人々との会話が億劫になることがあります。
「昨日の藤井聡太の絶妙手がさ……」
そう熱く語りたくても、周囲の人間には「ふーん、すごいね」としか返されません。
この温度差に絶望し、次第に「将棋がわかる人間」とだけ交流するようになります。
家族との団欒中も、上の空で詰将棋を解いていたり、パートナーの話を聞き流して頭の中で定跡を反芻していたり。
盤上では饒舌に駒たちが対話しているのに、現実世界の人間関係は希薄になり、沈黙が支配していく。
「たかがゲームでしょ?」という家族の言葉に、カッとなって反論してしまう。
そうして、気づけば周囲から人が離れていくリスクがあるのです。
将棋はやめたほうがいい?人生の無駄?やめたくなる理由

それでもなお、私たちは指してしまう。
しかし、ある日突然、プツリと糸が切れたように「もうやめたい」と思う瞬間が訪れます。
それは決して逃げではなく、心が発するSOSかもしれません。
なぜ、あんなに好きだった将棋が、苦痛の種に変わってしまうのでしょうか。
やめたくなるのはなぜ?
将棋をやめたくなる理由。それは「努力と成果の非対称性」に集約されます。
「成長のプラトー(高原)」という地獄
将棋を始めたばかりの頃は、ルールを覚え、棒銀を覚えれば、面白いように勝てました。
成長の実感が毎日あり、ドーパミンが溢れ出ていたはずです。
しかし、ある一定のレベル(例えば初段の壁、三段の壁)に達したとき、突然成長が止まります。
どれだけ対局しても、どれだけ本を読んでも、レート(数値)がピクリとも上がらない。
むしろ、少し下がることさえある。
これが「プラトー現象」です。
まるで、酸素の薄い高山で、重い荷物を背負って足踏みをしているような感覚。
「これ以上やっても、自分は強くならないのではないか」
「自分の才能の限界はここだったのではないか」
その絶望感が、コントローラーを置かせるのです。
「理不尽な負け」の蓄積
将棋には、他のゲームにはない特有の残酷な負け方があります。
序盤・中盤と完璧に指し回し、優勢を築き、相手玉を追い詰めた。
評価値(AIによる形勢判断)は「勝勢(99%)」を示している。
しかし、最後の一手で「トン死(自玉の詰みを見落とすこと)」をして大逆転負け。
99手の名局が、たった1手のミスで汚泥にまみれます。
このとき感じるのは、「相手に負けた」という感覚ではありません。
「自分自身の愚かさに殺された」という感覚です。
積み上げてきた努力が、瞬間の不注意ですべて水泡に帰す。
この理不尽さに耐えきれなくなったとき、人は将棋盤を叩き割りたくなるのです。
弱い人の特徴

もしあなたが「自分は弱い」「才能がない」と嘆いているのなら、少し立ち止まって考えてみてください。
「弱い」のではなく、「弱くなるような指し方」をしているだけではないでしょうか。
万年級位者や、低段位で停滞している人には、驚くほど共通した特徴があります。
1. 感想戦(振り返り)をしない「打ちっ放し」
ゴルフの練習場で、どこに飛んだかも確認せずにひたすらボールを打ち続ける人が、上手くなるでしょうか?
将棋も同じです。
負けた対局を振り返るのは苦痛です。自分の恥部を直視するような作業だからです。
しかし、敗着(負けの原因となった手)を知らずに次の対局に向かうのは、穴の空いたバケツで水を汲みに行くようなもの。
「弱い人」は、負けた瞬間に「次!」とボタンを押し、同じ失敗を何百回も繰り返します。
2. 「手待ち」ができない
弱い人は、常に「攻め」たがります。
自分のターンが来たら、何か駒をぶつけたり、王手をしたくてたまらない。
しかし、将棋の神髄は「待つ」ことにあります。
相手が動くのをじっと待ち、隙ができた瞬間にカウンターを合わせる。
我慢ができずに無理な攻めをして自滅するパターンは、級位者の負け方の典型です。
3. 定跡や手筋の「インプット」を軽視する
「実戦こそが最高の練習だ」と言って、勉強をしない。
確かに実戦は大切ですが、基礎知識のない実戦は、地図を持たずにジャングルを彷徨うようなものです。
強くなる人は、地味な詰将棋や、定跡書の読み込みを怠りません。
とはいえ、分厚い専門書を買うのはハードルが高いし、持ち歩くのも重い。
そんな悩みを持つ方には、スマートフォンで手軽に読めるKindleでの学習が推奨されます。
特に、多読が必要な詰将棋や手筋の本は、Kindle Unlimitedを利用すれば、月額料金だけで何冊でも乱読できます。「3手詰ハンドブック」や「寄せの手筋」のような名著を、通勤電車の中で数分眺める。その積み重ねが、半年後の棋力に決定的な差を生みます。
急に弱くなった?
順調に強くなっていたはずなのに、ある日突然、勝てなくなる。
将棋ウォーズの達成率が暴落し、級や段が降格する。
「急に弱くなった」と感じてパニックになる人がいますが、これは実は「成長の前兆」である可能性が高いのです。
これを「アンラーニング(学習棄却)の痛み」と呼びます。
新しい戦法や、より高度な手筋を覚えた直後は、脳内の情報処理が混乱します。
今まで「感覚」で指していた部分に「理屈」を持ち込むことで、一時的に思考のスピードが落ちたり、判断がブレたりするのです。
家をリフォームするときを想像してください。
新しく綺麗なキッチンを作るためには、一度古いキッチンを破壊し、瓦礫の山を作らなければなりません。
今のあなたは、まさにその「工事中」の状態。
一時的に弱くなったように見えるのは、脳が新しい回路を構築している最中だからです。
ここで諦めてはいけません。このスランプを抜けたとき、あなたは一段高い場所に立っています。
大嫌いになったら?
「好きで始めたはずなのに、今は将棋盤を見るだけで吐き気がする」
もしそこまで追い詰められているのなら、それは心が「オーバーヒート」を起こしている証拠です。
愛と憎しみは紙一重。
熱中しすぎた反動で、対象を憎んでしまうのは人間の防衛機制です。
そんなときは、無理に好きになろうとしないでください。
「今は将棋が嫌いだ」と認めてしまいましょう。
嫌いなまま指し続けることほど、精神を摩耗させることはありません。
一度、駒を箱にしまい、アプリを削除し、将棋から完全に離れる勇気を持ってください。
本当に将棋が好きなら、1ヶ月後、あるいは1年後、ふと「指したいな」と思う瞬間が必ず訪れます。
そのときが、再開のタイミングです。
やめたくなったらどうすればいい?
「やめたいけれど、完全に縁を切るのは寂しい」
そんなジレンマを抱えているなら、関わり方(スタンス)を変えてみることを提案します。
プレイヤー(指す将)から、観戦者(観る将)への転向です。
以下の表を見てください。プレイヤーと観戦者では、得られる快楽と支払うコストが全く異なります。
| 項目 | 指す将(プレイヤー) | 観る将(ファン) |
|---|---|---|
| 主な目的 | 自己の勝利、技術向上、達成感 | プロの芸術鑑賞、ドラマへの共感、応援 |
| 精神的負荷 | 極大(敗北時のストレス、自己否定) | 小(感動、興奮、癒やし) |
| 必要なもの | 論理的思考力、集中力、忍耐力 | 推しの棋士、視聴環境、おやつ |
| 得られるもの | 自身の成長実感、脳の活性化 | エンタメとしての興奮、コミュニティとの繋がり |
プロ棋士の対局は、人間同士が魂を削り合う極上のエンターテインメントです。
自分が指すと苦しい将棋も、ビール片手にプロの妙技を眺めるだけなら、これほど楽しいコンテンツはありません。
特に最近は、将棋観戦の環境が劇的に整っています。
例えば、ABEMA将棋チャンネルでは、多くのタイトル戦やトーナメントを無料で、しかもAIによる勝率表示付きで楽しむことができます。解説者の軽妙なトークを聞いているだけでも、十分に将棋の深みに触れることができます。
また、よりディープな対局や、過去の名局アーカイブを楽しみたいなら、スカパー!の囲碁・将棋チャンネルが聖地です。銀河戦などのオリジナル棋戦は、観る将にとっての見逃せないドラマの宝庫です。
さらに、「3月のライオン」のようなアニメや映画を通じて、物語として将棋の世界に浸るのも素晴らしいリフレッシュになります。DMM TVなら、将棋関連のアニメや映画をお得に視聴でき、勝負の厳しさとは別のベクトルで、将棋の美しさを再確認できるでしょう。将棋アニメ・映画・漫画・ラノベおすすめランキングを参考に、週末はコントローラーを置いて、ポップコーンを用意してみてはいかがでしょうか。
そして、もし「やはり強くなりたい、でも一人では限界だ」と感じて戻ってきたくなったときは、プロや高段者に教えを乞うのも一つの手です。
独学での壁を感じているなら、ココナラの指導対局・棋譜添削を利用して、自分の弱点を客観的に指摘してもらうことで、停滞していた歯車が急に回り出すこともあります。
私の見解:それでも指す、という「祈り」
将棋は人生の無駄か。
私の結論は、「これ以上ないほど贅沢で、美しい無駄」です。
資本主義的な価値観、つまり「金になるか」「役に立つか」という物差しで測れば、将棋は間違いなく無価値です。
AIが人間の知能を遥かに凌駕した今、人間が盤上で苦悩することに、機能的な意味などありません。
答えの出ている問いを、わざわざ自分の頭で解き直しているようなものです。
しかし、だからこそ尊いのです。
効率や生産性という呪縛から解き放たれ、ただ純粋に「最善」という真理だけを追い求める時間。
それは、現代人に残された数少ない「聖域」ではないでしょうか。
私たちは、将棋を通じて「自分の弱さ」を知ります。
慢心があれば足をすくわれ、臆病風に吹かれれば好機を逃す。
盤面は、嘘偽りのない自分自身を映し出す鏡です。
その鏡に向き合い、ボロボロになりながらも、一歩前へ進もうと指を伸ばす。
その行為は、もはやゲームを超えた、一種の「祈り」に近いものだと私は感じています。
もしあなたが、将棋をやめたいほど苦しんでいるなら、それはあなたが真剣に自分と向き合っている証拠です。
その苦しみは、決して無駄ではありません。
いつかその「無駄」が、あなたの人生を支える強靭な精神(バックボーン)に変わる日が来ると、私は信じています。
よくある質問Q&A

将棋は何歳から始めたら遅いですか?
結論から言えば、何歳からでも遅くありません。
確かにプロ棋士になるには10代での研鑽が必須ですが、趣味として楽しむ分には、60代、70代から始めて初段になる方も大勢います。
脳の可塑性(変化する能力)は一生続きます。新しいことを覚える喜びは、年齢に関係なく脳を若返らせます。
将棋ウォーズの初段はどれくらいすごいですか?
一般的に、将棋ウォーズ初段は「将棋人口の上位20〜30%」程度に入ると言われています。
これは、学校のクラスで一番強いレベル、あるいは職場で「将棋が強い人」として認知されるレベルです。
ここまで到達するには、ルールを覚えてから数千局の対局と、一定の学習が必要です。十分に誇って良い実力であり、決して「無駄」な時間ではありません。
才能がないと強くなれませんか?
プロレベル(神の領域)を目指すなら才能は不可欠ですが、アマチュアの高段者(三段〜五段)レベルまでなら、「正しい努力」で誰でも到達可能だと言われています。
「才能がない」と嘆く人の9割は、才能の不足ではなく、「定跡を覚えていない」「詰将棋をしていない」という「準備の不足」が原因です。
負けてイライラするのを治すには?
イライラするのは、あなたが「真剣」だからです。
どうでもいいゲームで負けてもイライラしません。
まずは「自分はこれだけ情熱を持っているんだ」と自分を肯定してください。
その上で、「負け=自分の全否定」という認知の歪みを修正しましょう。「今回は実験的な手を試した」「相手が強かった」と、課題を切り分けることで、感情の暴走を抑えることができます。
まとめ:将棋はやめたほうがいい?人生の無駄と嘆くあなたへの処方箋

将棋はやめたほうがいいのか。
その問いに対する答えは、あなたの中にしかありません。
もし将棋が、あなたの生活を破壊し、家族を泣かせ、精神を病ませるだけの存在になっているのなら、今すぐやめるべきです。
人生には、将棋よりも大切にすべきものがたくさんあります。
しかし、もし「無駄だ」と感じながらも、盤上の幾何学模様にどうしようもない美しさを感じてしまうのなら。
負けるたびに胸を掻きむしりながら、それでもまた「対局開始」のボタンを押してしまうのなら。
それは、あなたが将棋という「道」に選ばれてしまったということです。
その「無駄」な時間は、きっとあなたの人生を、他の何者とも違う、深く、濃い色に染め上げてくれるはずです。
無駄を愛しましょう。
苦悩を愛しましょう。
その先にしか見えない景色が、81マスの向こう側には広がっています。
さあ、少し休憩したら、また一局指しませんか?
それとも、今日は美味しいコーヒーでも淹れて、ABEMAでプロの対局をのんびり眺めますか?
どちらを選んでも、それはあなたの素晴らしい「将棋人生」の一コマなのです。

