
盤上に指先を落とすその瞬間、駒の冷やりとした感触とともに、静寂な空気が震えるのを感じたことはありませんか。
将棋という遊戯は、単なる勝ち負けの道具ではありません。そこには、平安の昔から受け継がれてきた歴史の重みと、棋士たちの魂が宿っています。
特に、私たちが守るべき頂点に立つ駒。「王」と「玉」。
一見すると些細な違いに見えるこの二つの文字には、実は深い哲学と、日本人の美意識が隠されています。かつて私も、ただ漫然と駒を並べていた時期がありました。しかし、その「点」一つに込められた意味を知ったとき、将棋盤という小宇宙が、より鮮烈な色彩を帯びて目の前に広がったのです。
今回は、将棋の魂とも言える「王将」と「玉将」の違いについて、事実に基づいた知識と、私自身の考察を交えながら、極限まで深掘りしてみたいと思います。
夜長の読書のように、ゆったりとした心持ちでお読みいただければ幸いです。
【本記事の信頼性】
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将棋の王と玉の違いの基本

まずは、誰もが一度は抱く疑問、基礎的な違いから紐解いていきましょう。
あなたが手に取ったその駒箱の中には、二枚の王様が入っています。しかし、よく目を凝らしてみると、片方の王様の足元には、小さな「点」が打たれていることに気づくはずです。
この点は、単なる汚れでも、彫師の気まぐれでもありません。
王と玉の読み方
最も基本的なことですが、言葉の響きを確認しておきましょう。
- 王将(おうしょう)
- 玉将(ぎょくしょう)
一般的には、どちらも縮めて「王(おう)」あるいは「玉(ぎょく)」と呼ばれます。対局中の会話や感想戦では、「そこで玉が早逃げしていれば……」といった具合に、「玉」という呼称が使われることが多いように感じます。
「王手(おうて)」という言葉はあっても、「玉手(ぎょくて?)」とは言いませんよね(「玉手箱」になってしまいますから)。一方で、「入玉(にゅうぎょく)」とは言いますが、「入王」とは言いません。
この言葉の響きの揺らぎの中にさえ、日本語特有の曖昧な美しさが漂っている気がします。
王と玉の違い
物理的な違いは、至ってシンプルです。「点」があるか、ないか。
| 名称 | 文字の特徴 | 使用する人 | 象徴するもの |
|---|---|---|---|
| 王将 | 「王」の文字。 点が無い。 | 上手(うわて) 上位者 後輩への指導者 | 王権、君主、支配者 |
| 玉将 | 「玉」の文字。 点(丶)がある。 | 下手(したて) 下位者 挑戦者 | 宝石、財宝、大切なもの |
この「点」一つが、両者の運命を決定づけています。
「王」は、文字通り王様です。国を統べる者。絶対的な権力者。そこに余計な装飾は必要ありません。ただ堂々と、その存在だけで周囲を圧倒する。
対して「玉」は、宝石を意味します。磨けば光る原石であり、守るべき財宝です。
私が初めて自分専用の将棋駒を購入したとき、この「玉将」の文字の美しさに心を奪われたのを覚えています。王の威厳も素晴らしいですが、玉の持つ「艶やかさ」や「儚さ」に、えも言われぬ魅力を感じたのです。
王・玉の動き
外見や役割に違いはあれど、盤上における「機能」は完全に同一です。
全方向に1マスずつ動ける。
これだけです。王将だからといって2マス動けるわけでもなければ、玉将だからといって斜めに動けないわけでもありません。
もし王将の方が強かったら、それはもはや将棋というゲームの崩壊を意味します。公平なルールの下で、異なる立場の二人が知略を尽くして戦う。だからこそ、将棋は面白いのです。
初心者の方は、まず入門向けの棋書などで動きを覚えるかと思いますが、王と玉の動きに関しては「全く同じ」と記憶していただいて問題ありません。
王と玉の決め方
では、対局の際、どちらが「王」を持ち、どちらが「玉」を持つのでしょうか。
これには明確な不文律、すなわちマナーが存在します。
「上位者が王将を持つ」
これが鉄則です。
- 段級位が上の人が王将を取る。
- 段位が同じ場合は、年齢が上の人が王将を取る。
- プロの公式戦では、タイトル保持者や順位戦の上位者が王将を取る。
例えば、あなたが友人と指すとき。もし友人が将棋の先輩であれば、敬意を込めて王将を譲り、自分は玉将を取るのがスマートな所作です。
私は以前、目上の方との対局でうっかり王将を自分の手元に置いてしまい、冷や汗をかいた経験があります。その方は笑って許してくれましたが、将棋は「礼に始まり礼に終わる」武道にも通じる精神性を持っています。
駒を並べるその瞬間から、すでに対局は始まっているのです。相手への敬意を表す最初の「一手」が、この王と玉の選択にあると言っても過言ではありません。
もし、これから将棋を本格的に始めたい、あるいはマナーを含めてしっかり学びたいと考えているなら、ココナラで指導対局や棋譜添削を受けてみるのも一つの手です。独学では気づけない礼儀作法も、優しく教えてもらえるでしょう。
王と玉先手はどっち?
ここが少しややこしい点であり、よく誤解されるポイントです。
「王将を持っているから後手(ごて)」とは限りません。
確かに、プロの対局や指導対局では、上位者(王将側)が後手を持つケースが多い傾向にあります。これは「強い人が後手を持ってハンデを負う」という考え方や、伝統的な慣習によるものです。
しかし、正式な対局(互角の勝負)においては、「振り駒(ふりごま)」によって先手・後手を決定します。
- 上位者が、自身の歩兵を5枚取り、両手の中でよく振って盤上に散らします。
- 「歩」が多く出れば、振った人(上位者=王将側)が先手。
- 「と金(裏)」が多く出れば、振った人が後手(つまり、下位者=玉将側が先手)。
つまり、「王将=後手」という固定概念は捨ててください。
王将を持ちながら先手で攻め込むこともあれば、玉将を持って堂々と後手番で受けて立つこともあります。運命の女神(あるいは振り駒の神様)のみぞ知る領域です。
王と玉はどっちが強い?
先ほど「動きは同じ」と申し上げました。機能的な強さに差はありません。
しかし、精神的な強さはどうでしょうか。
私の見解としては、「玉将を持つ側の方が、精神的にハングリーになれる」のではないかと感じています。
王将を持つ上位者は、その地位を守らなければならないというプレッシャーがあります。「負けてはいけない」「格下の相手に取りこぼすわけにはいけない」。そういった目に見えない鎖が、王将には絡みついているようにも思えます。
対して玉将を持つ下位者は、挑戦者です。失うものは何もありません。ただ目の前の巨城を崩すために、全身全霊でぶつかっていける。
漫画『NARUTO』で例えるなら、才能あふれるエリート(王)に対する、努力と根性の挑戦者(玉)のような構図でしょうか。あるいは、『HUNTER×HUNTER』のメルエムとコムギの対局のように、立場を超えた魂のぶつかり合いがそこにはあります。
「玉」には、「点」という余分なものが付いているかもしれません。しかしその「点」こそが、泥臭く勝利をもぎ取ろうとする執念の象徴のように、私には思えてならないのです。
もちろん、これは私のロマンチックな解釈に過ぎません。しかし、もしあなたがKindleなどで数多くの棋譜解説書や戦術書を読み漁れば、逆転の一手を狙う「玉将」側の名局に数多く出会うことでしょう。
将棋の王と玉の違いを深掘り

さて、ここまでは基本的な「常識」の範囲内でした。
ここからは、もう少し深く、将棋という文化の深淵を覗き込んでみましょう。
なぜ、全く同じ動きをする駒に、わざわざ違う文字を当てたのか。
その歴史的背景には、日本の歴史そのものが色濃く反映されています。
王将・玉将の由来
将棋の起源は、古代インドの「チャトランガ」にあると言われています。これが西洋に伝わりチェスとなり、東洋に伝わり中国将棋(シャンチー)や日本の将棋となりました。
日本の将棋の歴史において、もっとも古い形の一つとされる「平安将棋」や「平安大将棋」の時代、実は「王将」という駒は存在していませんでした。
「えっ?」と思われたかもしれません。
当時のすべての駒は、「玉将(ぎょくしょう)」だったという説が有力です。
なぜなら、当時の将棋の駒は「五宝(ごほう)」、つまり宝物をモチーフにしていたからです。
- 玉将(宝石)
- 金将(金)
- 銀将(銀)
- 桂馬(肉桂=香料・薬草)
- 香車(香木)
お気づきでしょうか。すべて「宝」や「貴重なもの」の名前がついているのです。この文脈で考えれば、トップに立つ駒が「玉(宝石の王様)」であることは極めて自然なことです。
では、いつから「王将」が現れたのか。
これには諸説ありますが、最も有名な通説として「豊臣秀吉」の影響が挙げられます。
【秀吉公の伝説】
天下人となった豊臣秀吉が将棋を指した際、「玉(宝石)」という文字を嫌ったと言われています。
「わしは天下の王である。宝石ごときが頭が高い」
そう考えたかどうかは定かではありませんが、片方の「玉」の点を取り、「王」の文字に変えさせたという逸話が残っています。
ただ、これはあくまで伝説の域を出ません。実際には、秀吉以前の資料にも「王将」の文字が見られるという研究結果もあり、自然発生的に「二人の王が戦う違和感」を解消するために「王」と「玉」に分かれたという説もあります。
歴史の真実は霧の中です。しかし、戦国時代の武将たちが、自らの覇権をこの盤上の駒に重ね合わせていたことは想像に難くありません。
歴史ミステリーとしての将棋の起源。これを深く知るには、Kindle Unlimitedで読める歴史専門書や、将棋の歴史を扱ったムック本などが非常に参考になります。月額読み放題なら、何冊でも歴史の旅に出かけることができます。
王と玉がある理由や意味
歴史的な経緯はどうあれ、現在において「王」と「玉」が併存していることには、大きな意味があります。
それは「調和と敬意」です。
もし両方が「王」だったらどうでしょう。「王 vs 王」。それは完全なる対立、殺し合いの戦争を想起させます。
逆に、両方が「玉」だったら。「宝 vs 宝」。これでは奪い合い、強盗のような印象を受けてしまうかもしれません。
「王」と「玉」。
この絶妙なバランスこそが、日本的な「和」の精神を表しているように思えてなりません。
上位者を「王」として立てつつ、下位者もまた「玉」という尊い存在であると認める。
一方的に踏みにじるのではなく、互いに尊厳を持って盤上で対話する。
私が良い将棋盤に向かうとき、背筋が伸びるのは、この「礼節」が道具そのものに刻み込まれているからだと感じます。榧(かや)の木の香り、駒の音、そして王と玉の対比。すべてが、対局者同士のリスペクトを促しているのです。
私の見解・考察:その「一点」に宿る美学

ここからは、少し私自身の主観的な話をさせてください。
長年将棋を指してきて、ふと盤面を見つめるとき、王将と玉将の「点(丶)」の違いが、単なる文字の違い以上のものに見えてくる瞬間があります。
私の見解において、あの玉将の「点」は、「不完全さ」の象徴であり、同時に「可能性」の証です。
「傷」があるからこそ美しい
王将は完璧です。欠けるものがなく、威風堂々としている。それは理想的なリーダー像かもしれません。
しかし、玉将には「点」という余分なもの、あるいは「傷」のようなものがついています。
これは、私たちの人生そのものではないでしょうか。
私たちは皆、傷を抱えて生きています。失敗し、挫折し、心に消えない「点」を打ち込まれる。しかし、その傷があるからこそ、人は人の痛みがわかり、深みのある人間になれる。
宝石(玉)もそうです。原石はゴツゴツとして不格好ですが、削られ、傷つけられ、磨かれることで初めて光を放ちます。
私が扇子をパチリと鳴らし、苦しい局面で長考に沈むとき、手元の玉将がこう語りかけてくる気がするのです。
「完璧でなくていい。泥にまみれても、最後まで輝き続けろ」と。
もしあなたが、日々の生活や仕事で「自分はなんてダメなんだ」と落ち込むことがあったら、ぜひ玉将を手に取ってみてください。その小さな点は、あなたのコンプレックスを肯定してくれる優しい光に見えるはずです。
盤上の孤独と、道具たちへの愛着
将棋は孤独なゲームです。対局時計が無機質に時間を削り取る中、頼れるのは己の頭脳のみ。
そんな極限の緊張感の中で、王と玉は、盤上の駒たち、そして盤外の道具たちに支えられています。
取った駒を置く駒台は、次の出番を待つ兵士たちの待機所であり、対局が終われば駒たちは駒袋というゆりかごに帰っていきます。
王将(あるいは玉将)は、決して一人で戦っているわけではありません。
「王」という文字が独裁的な響きを持つ一方で、「玉」という文字には、周囲の支えによって輝く「調和」の響きがあります。
私が指導対局などで「王将」を持つ立場になったとき、いつも自戒するのはこの点です。「王だから偉いのではない。相手がいて、盤があって、初めて王でいられるのだ」と。
そう考えると、あの一点は、謙虚さを忘れないための「重し」なのかもしれませんね。
よくある質問Q&A

ここでは、将棋の王と玉に関して、初心者の方が抱きがちな疑問、そして中級者でも意外と知らないマニアックな質問に、Q&A形式で詳しくお答えします。
Q1. 自分の持っている駒が「双玉(両方とも玉将)」なのですが、これは不良品ですか?
いいえ、不良品ではありません。むしろ、非常にこだわって作られた高級品の可能性があります。
実は、昭和初期頃までは「双玉(そうぎょく)」といって、両方とも「玉将」である駒も珍しくありませんでした。「互いに宝(玉)を奪い合う」という、より古い将棋の精神を残しているスタイルです。
また、詰将棋専用の駒や、特定の作家の作品には、あえて双玉で作られるものがあります。
もしお手元の駒が双玉であれば、それは歴史のロマンを感じさせる逸品です。どちらが上手(うわて)か悩む場合は、駒の底(裏側)を見て、作作者の銘が入っている方や、木目がより美しい方を上位者が使うなど、柔軟に決めて構いません。
Q2. プロの対局を見るのが好きなのですが、王と玉の違いに注目するポイントはありますか?
素晴らしい着眼点です。「観る将」ならではの楽しみ方ですね。
プロの対局、例えばABEMA将棋チャンネルや囲碁将棋チャンネルで放送されるタイトル戦を観戦する際、対局開始前の「駒を並べるシーン」に注目してください。
タイトル保持者が、うやうやしく駒箱を開け、王将を手に取り、「王座」とも言うべき所定の位置(5九)に据える。
その一連の所作には、張り詰めた緊張感と美学が凝縮されています。
また、最近ではAIによる勝率表示が一般的ですが、画面上の駒の表示が「王」と「玉」で区別されているかどうかもチェックポイントです。放送局やアプリによっては、便宜上両方「玉」で表示することもありますが、こだわりのある放送ではしっかり区別されています。
Q3. 将棋の漫画やアニメで勉強したいのですが、王と玉の描写が面白い作品はありますか?
将棋を題材にした作品は、王と玉の対比をキャラクターの人間関係に重ねることが多いです。
例えば、名作『3月のライオン』。主人公の桐山零は、若き天才として孤独な戦いを強いられますが、これはまさに盤上で孤立する「玉」の姿に重なります。彼が周囲の人々と関わりながら成長していく様は、玉が囲い(守り)によって強固になっていく過程のようです。
こうした作品は、DMM TVなどの動画配信サービスでアニメ版を一気見するのも良いですし、ブックライブやBOOK☆WALKERなどの電子書籍ストアで、原作漫画をじっくり読み込むのもおすすめです。
特に電子書籍なら、拡大して作中の「駒の文字」まで確認できるので、作者のこだわりを発見できるかもしれません。
また、もしあなたが戦略として王と玉の使い分け(例えば、入玉戦法など)を学びたいのであれば、Kindleで専門の棋書を探すのが一番の近道です。Kindle Unlimited対象の入門書も多いので、手軽に知識を深められます。
Q4. ネット将棋では王と玉の違いはどうなっていますか?
「将棋ウォーズ」や「将棋倶楽部24」などのネット対局場では、自動的に設定されることがほとんどです。
基本的には、段級位が上のプレイヤーに「王将(または王将のアバター)」が表示され、下のプレイヤーに「玉将」が表示されるシステムが多いです。
ただし、アバター設定や「駒きせかえ」機能を使っている場合、両方が特殊なデザインの駒(例えば、キャラクターの顔など)になることもあります。
ネット将棋は手軽で楽しいですが、本来の「王と玉」の重みを感じたいなら、やはり一度はリアルな盤駒に触れてみることを強くおすすめします。
まとめ:将棋の王と玉の違い。点一つに宿る「不完全」という美学

ここまで、将棋の「王」と「玉」の違いについて、物理的な側面、歴史的な背景、そして精神的な意味合いまで、深く掘り下げてきました。
最後に、本記事の要点を振り返りましょう。
- 物理的な違い:「点」があるのが玉将、ないのが王将。
- 役割の違い:上位者が「王将」、下位者(挑戦者)が「玉将」を持つのがマナー。
- 機能の違い:動きや強さは全く同じ。完全に平等な戦いである。
- 歴史的背景:元々は「宝石」のゲームだったが、秀吉の逸話や権力構造の変化により「王」が生まれたとされる。
- 精神的意味:王は威厳と責任、玉は挑戦と可能性を象徴する。
たった一つの「点」。
インクの染みのようなその小さな黒い点に、これほどの歴史と哲学が詰まっていることに、改めて驚かされます。
将棋は、81マスの盤上で繰り広げられる、音のない対話です。
あなたが次に駒を握るとき、もし「王将」を持ったなら、相手を導き受けて立つ度量を。
もし「玉将」を持ったなら、王をも恐れぬ果敢な挑戦心を。
その指先に込めて、パチリと良い音を響かせてください。
王と玉、二つの魂がぶつかり合うその瞬間、あなたの目の前の世界は、きっと今までよりも少しだけ鮮やかに、奥深く見えるはずです。
さあ、盤上の物語を始めましょう。

